輝きを見たかった好投手

選手


「1億円で故障しない肩があったら絶対に買います。そのお金を返せる自信があったから。」右肩の故障に悩まされた、ヤクルトのユウキが引退時に語った名言である。この一言に投手という職業の儚さが詰まっている。
投手と怪我の問題は、昔も今も変わらず存在する。私がプロ野球を見始めてから35年が経過し、投手の起用方法については、明らかに変化が見られるし、医療の進歩により、肘にメスを入れてもかつての輝きを取り戻す投手も増えている印象である。
それでも投手が商売道具である利き腕、肩を故障した場合には、かつての投球を取り戻せなくなってしまうことも非常に多い。ヤクルトスワローズでは、伊藤智仁や岡林洋一、川島亮、由規らの名前がよく挙げられるのだが、ここに挙げた投手については、短い期間でもNPBで輝きを放った投手である。NPBでは、ほとんど輝くことが出来ずに野球人生を終えた投手も数多く存在することだろう。今日は、私自身がNPBで輝いた姿を見てみたかった投手の名前を挙げて、振り返ってみたい。「もし怪我をしなければどうなっていたのか?」というifの話は、野球ファンの間でもよくなされるテーマなのではないだろうか?

伊藤 彰(ヤクルト)山梨学院大付高 96年ドラフト1位
・大きなカーブと140キロ越えのストレートで超高校級という評価だったのだが、甲子園では左肩の故障もあり本来の投球とは程遠い投球となってしまった。その怪我によりプロ入り後も1軍で登板するには至らなかった。イメージとしては、今中慎二タイプの好投手。

高塚 伸幸(近鉄) 智辯和歌山高 97年ドラフト7位
・96年のセンバツで2年生エースながらチームを準優勝に導いた本格派右腕である。未だに「智弁和歌山高校最強投手」と呼ばれる素晴らしい投手だったのだが、甲子園での登板過多もあり、右肩を負傷し、その後は投手としての輝きを取り戻せなかった。本来なら高塚ー中谷というバッテリーは高校球史に残るバッテリーになっていた可能性があったと思う。

中里 篤史(中日)春日部共栄高 00年ドラフト1位
・細身の体から投げ込まれるスピン量抜群のストレートで高校時代からその才能を高く評価されていた。中里の場合は、野球以外の部分での負傷により選手生命に影響するような大怪我をしてしまったということで、まさに「悲運のエース」というイメージが付いてしまった。空振りを奪えるストレートの球質は藤川球児に近かっただろうか?

山村 路直(ダイエー)松山中央高~九州共立大 00年ドラフト1位
・ダイエーが強引なドラフト戦略でチーム強化を図っていた時代、山田秋親との両獲りに成功し、10年は投手陣は安泰では?などと言われた剛球投手である。しかしプロ入り後は故障に悩まされ、大学時代に見せたようなボールを投げ込むことはなかった。

泉 正義(ヤクルト)宇都宮学園高 02年ドラフト4巡目
・宇都宮学園の1年に凄い投手がいる。との話しは伝わって来ていたのだが、実際に甲子園での投球を見て驚いたのが、この泉である。1年生にして身体に厚みがあり、素晴らしいストレートを投げ込んでいた。コントロールも良く、甲子園でもすでにモノの違いを見せ付けてくれていた。その後故障の話や素行不良の話があり、一時は名前を聞かなくなっていたのだが、3年の夏には150キロの速球で見事に表舞台に戻ってきた。しかし右肩の故障により、プロでは1軍での登板は叶わなかった。

森 大輔(横浜)七尾工~三菱ふそう川崎 03年ドラフト自由枠
・私と同世代のトップランナーである。その投球が夕方の全国ニュースで紹介されるなどちょっとした社会現象にもなった剛腕サウスポーである。七尾工は、野球強豪校というイメージがないのだが、そこに突如として現れた剛腕に誰もが注目した。当時敦賀気比のエースだった内海との練習試合での投げ合いは伝説となっている。もし高卒でプロに進んでいたら…ということを考えたくなる投手の1人である。三菱ふそう川崎時代から怪我とイップスに苦しんでいたのだが、一時は社会人でも十分通用していたため、プロの世界でもやれたのではないか?という気になってしまう。

佐藤 剛士(広島)秋田商 04年ドラフト1巡目
・ダルビッシュ、涌井らとともに注目された本格派右腕である。高校時代は、今で言う山下舜平大のような立ち位置にいた投手という印象があり、完成度は投手としての総合力ではダルビッシュや涌井に劣るが伸びしろでは佐藤が上回るのではないか?という声も多く聞こえてきていた。怪我がなければどうなったのだろう?と思わずにはいられない投手である。

樋口 龍美(中日)日田林工~九州国際大~JR九州 04年ドラフト自由枠
・私は多分この投手が実際に投げている姿を見たことがない。しかしJR九州に物凄い完成度を誇るサウスポーがいあるとの話しは、ドラフト情報誌などで掴んでいた。それにしても29歳になる年にドラフト1位で指名されたこと自体が異例である。樋口のピッチングを楽しみにしていたファンは多かったと思うのだが、結局怪我により、1軍のマウンドに上がることなくプロの世界を離れることとなってしまった。「超即戦力」という言葉を聞いたのもこの樋口からかもしれない。

辻内 崇伸(巨人)大阪桐蔭高 05年高校ドラフト1巡目
・大阪桐蔭高校時代、MAX156キロのストレートで話題となった剛腕サウスポーである。まだまだ粗削りな所はあったが、156キロという球速は、確か当時、プロの投手も含めた中でサウスポーの最速記録だったのではないだろうか?それだけでもドラフト1位クラスの逸材だった。巨人入団後は怪我に苦しみ、1軍登板はならなかった。1軍までもう一歩という所まで迫っていた時期もあっただけに残念だった。

甲斐 拓哉(オリックス)東海大三高 08年ドラフト1位
・長野県の高校生投手でこれ程までにプロから注目された投手はいなかったのではないだろうか?松本南シニア時代に全国優勝を果たし、鳴り物入りで東海大三高校に入学し、1年次から注目の的となっていた。ストレートの速さ、キレともに長野県の高校球界では頭1つも2つも抜きん出た存在だった。

一二三 慎太(阪神)東海大相模高 10年ドラフト2位
高校2年次の秋~センバツにかけての投球が最も評価されていたのではないだろうか?オーバースローから投げ込まれるボールは威力抜群であり、コントロールも良かったように記憶している。完成度の高い投手だった。しかしその後フォームを崩し、3年の夏はサイドスローとして甲子園に帰ってきた。それでも通用してしまったのだからボディーバランス、指先感覚に優れていたと思うのだが、プロ注目の投手が短期間に大きくフォームをいじったことに驚いたことを覚えている。オーバースローで投げ続けることが出来た場合の世界線は気になる所である。

水野 滉也(DeNA)札幌日大高~東海大北海道 16年ドラフト2位
・この投手は、サイドスローの投手が成功するであろう要素を満遍なく持っている投手だった。140キロw超えるストレート、両サイドに散らすことが出来るスライダーとシンカー、試合を作れるコントロール能力と全てが高いレベルにあった。ほぼ1軍の実績なく引退するような投手ではなかった。怪我がなければ先発でもリリーフでもDeNA投手陣を支える存在になったはずである。

高良 一輝(日本ハム)興南高~九州産業大 16年ドラフト3位
・決してサイズに恵まれた投手ではなかったのだが、興南高、九州産業大で空振りを奪えるストレートを軸に大崩れしない勝てる投手となっていた。おそらく大学4年次の怪我さえなければ好素材が揃った16年のドラフトでも1位指名があり得た投手だと感じる。

上記の投手は、本当に万全の状態でプロの世界でどの程度通用したか見てみたかった投手達である。おそらくはどの投手もある程度の結果は残したはずである。
投手の旬というものは人それぞれではあるのだが、本当に短い期間だけ輝く投手がいることも事実である。「今」凄い投手は「今」見る必要がある。皆さんの中でもこの投手がプロで輝く姿を見たかったという選手はいるのではないだろうか?




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