亜細亜大学の小池秀郎

思い出ショートショート⑨

1990年のドラフトの目玉は、亜細亜大学の小池秀郎だった。信州工業(現都市大塩尻)出身ということで、亜大時代の活躍も長野県の地元紙では扱われていた。当時の私は小池の投球を視聴できる環境がなかったため、テレビで小池の投球を見ることが出来たのは、おそらく1,2回だけだったと記憶している(おそらく全日本大学野球選手権大会)。新聞に掲載されている記事と写真、そしてNHKのラジオ中継で小池という投手の想像を膨らませていたことを覚えている。
ドラフト会議では、89年の野茂同様、8球団が入札したのだが、89年のドラフトに比べると不作と呼ばれていた年だったようで、「8球団が指名した=野茂と同等の評価」という訳ではなかったようである。それでも小池の亜大4年次の投球は大学生では「お手上げ」状態の投球を披露していた。ストレートも変化球もキレ、コントロールともに抜群であり、左でこれだけ安定した投球が出来る投手は早々現れない。ドラフトの目玉になるべくしてなった投手という印象である。本人が意中の球団の1つとしてヤクルトの名前も挙げていただけに「ヤクルトに来てくれないかな?」という気持ちは子どもながらに持っていたのだが、それは叶わなかった。結局小池の交渉権を獲得したのはロッテだったのだが、小池は入団を拒否し、松下電器でプレーし、92年のドラフト会議で1位で近鉄に入団することとなる。
近鉄でも最多勝を上げるなど輝きを放った場面もあったのだが、亜大時代の投球を知っている人からすると物足りなさが残ったのではないだろうか?私自身は上記の通り、亜大時代の小池の投球もほとんど見たことがなかったのだが、今YouTubeで動画を見ても非常に素晴らしいボールを投げ込んでいると感じる。
「亜大時代の小池」、「東洋大時代の藤岡」はプロでは前評判程の活躍は出来なかったのだが、大学上級生次のボールが投げれれば十分ルーキーイヤーから数字を残せるだけのスキルは持っていたように感じる。ここ30年という括りで見ても亜大時代の小池はアマチュア球界屈指のサウスポーと呼んで差し支えないのではないだろうか?

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コメント

  1. ヤマ より:

    小池投手、懐かしいですね。
    たしかに当時はヤクルトに来てほしかった!
    まあ、高津投手を3位で獲得できたから、ホント、ドラフトでは何が起きるか分かりませんね。

  2. FIYS より:

    ヤマさんへ

    ここ30年という括りでも、即戦力候補の安定感のある大学生サウスポーとなると小池、和田、藤岡、早川くらいしか名前を挙げられないと思っています。

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