92年の激闘(ペナントレース編)

先日の「何かお題を頂いてもよろしいでしょうか?」の記事へのコメントでおにさんから「過去の心に残った試合」というテーマを頂いたのでちょっと92年の激闘を振り返って見たいと思う。
ちなみに92年当時は私は小学校4年生。バリバリのヤクルトファンでした。しかし流石に記憶は薄れていますのでネットなどで情報を得ながら書いていきたいと思う。(間違った情報、表記などがあったら申し訳ありません。)

私が応援し始めた88年からヤクルトは下位に沈んでいた。しかし90年に野村監督が就任し、チームの改革が進むと91年には優勝争いに加わり、光が見え始めていた。子どもながら「もしかすると優勝するかもしれない。」という期待を持った中でのシーズンだったように記憶している。この頃のセ・リーグは「混セ」と言われていたように各チームの実力が拮抗し、非常に面白いシーズンが展開されていた。その中でも92年は大混戦のシーズンだった。優勝したヤクルトの成績は「69勝61敗1引き分け」という数字である。2位巨人と阪神とは2ゲーム差、4位広島とは3ゲーム差という大接戦である。
この当時は気付かなかったのだが、今改めて振り返って見るとよく当時の戦力で優勝できたな。と感じる。そして改めて野村監督の偉大さに気付かされることになる。万年下位に沈んでいたチームの「メンタルを変え、力を伸ばし、采配でチームに力を貸す。」このことによって選手個々の実力だけではなく「チーム力」を向上させることに成功したのではないだろうか?若手と中堅とベテランが融合した素晴らしいチームだった。

投手陣は何と言ってもこのシーズンは岡林である。前年のルーキーイヤーは主にリリーフとして活躍していたが、2年目のこのシーズンは先発として大車輪の活躍を見せてくれた。終盤戦はもう1人のエース格だった西村の怪我での離脱もあり、リリーフも先発も何でもこなす今ではありえないような登板間隔で投げまくり、チームの優勝に貢献してくれた。身体への負担も大きく、結局このシーズンの登板過多が選手寿命を縮めてしまった側面もあると思うのだが、逆に言えばこの岡林の熱投なくして、ヤクルトの14年ぶりのリーグ優勝はあり得なかったのである。この時代のヤクルトの伝説の投手というと真っ先に「伊藤智仁」の名前が挙がると思うのだが、この岡林も十分伝説の投手である。右肩の痛みをおしての激投、日本シリーズ1,4,7戦での完投劇、記録にも記憶にも残る素晴らしい投手だった。

そしてこのシーズン開幕投手を務めたのはプロ入り3年目の西村だった。威力のあるストレートとスライダー、フォークなどの変化球を内外角に散らして1年目2年目と二桁勝利を上げていたのだが、このシーズンは調子が上がらず序盤戦から苦しんでいた。それでも先発として勝利を重ねると最終的には14勝13敗、防御率3.95という数字を残してみせた。但しシーズン終盤には怪我で離脱してしまい、結局日本シリーズにも戻ってくることが出来なかった。振り返って見れば西村の全盛期はルーキーイヤーと2年目だったのかもしれない。
しかし万全でなくても14勝を上げてくれた西村の存在も非常に大きかった。力強いマウンド姿と強気の投球は印象に残っている。

このシーズンヤクルトの投手で2ケタ勝利を上げたのは岡林と西村の2人だけである。その他の投手で印象に残ったのは長いリハビリ生活から復帰した伊東、高野、荒木の復活劇である。私がヤクルトを応援し始めてから名前は聞くけど投げている姿を見たことがなかった高野、荒木の復活劇は特に印象に残っている。

伊東は130試合目の甲子園での阪神戦での胴上げ投手になった瞬間、高野は1076日ぶりの勝利、荒木は4年ぶりの復活登板でチームに流れを引き寄せた場面が印象的である。
荒木の復活劇は9月下旬の事であり、ヤクルトが苦しい状況に追い込まれた中での鮮やかな復活劇であり、ヤクルトファンがベストゲームに上げる試合の1つだと思う。(出川哲郎氏もテレビでこの試合をベストゲームに上げていた。)ピンチで登板した荒木が広島の若き主砲江藤を三振に斬って取り、その後の古田の逆転ホームラン!甲子園のアイドル荒木の復活を祝うような劇的な勝利に神宮球場が異様な盛り上がりに包まれていた。このシーズンは劇的なゲームが日本シリーズも含めていくつもあるのだが、この荒木復活のゲームも非常に劇的なゲームだった。

リリーフ投手は今ほど重要視されていた時代ではなく、これといったリリーフ投手はいなかったのだが、金沢、角、中本らのベテランとこのシーズンリリーフに起用されていた内藤らが、何とか踏ん張っていた印象である。やはりこの時代は先発が長いイニングを投げなければ厳しいゲームになってしまうことが多かったように記憶している。

この投手陣を見てどう感じるだろうか?改めて振り返って見てもよくこの投手陣で優勝したと思う。やはりシーズン終盤からの「岡林、岡林、岡林」の激投があってこその優勝だったと思う。

次は野手陣である。このシーズンの主なオーダーとしては、

1番 センター    飯田
2番 レフト      荒井
3番 キャッチャー  古田
4番 ファースト    広沢克
5番 サード      ハウエル
6番 ショート     池山
7番 ライト       秦
8番 セカンド     笘篠
9番 ピッチャー

こんな所だろうか?序盤戦は新外国人レイがいたのだが、期待外れに終わり、シーズン途中からは堅実な守備が持ち味のパリデスがセカンドを務めることも多かった。また荒井と秦に関しては、投手によって橋上や城、土橋が起用されていた。
その他代打では日本シリーズで劇的な逆転満塁サヨナラホームランを放った杉浦、独特のオープンスタンスの八重樫、地味ながらきっちり仕事をこなす角富士夫あたりの大ベテラン勢が存在感を見せていた。

やはり野手陣に関しては、スタメンを中心に華のある選手が多く、素晴らしい打線に感じる。それでも選手層という意味では決して厚くはないことも伺える。そうなると上記にも記したとおり「野村采配」による勝利も数多くあったように感じさせる。

その中でも主力とセンターラインはやはり強力である。
1番センター飯田は完全にスター選手に仲間入りを果たしたシーズンとなった。センターとしての守備も勿論物凄かったのだが、1番打者として3割近い打率を残し、出塁するとそのスピードで盗塁に走塁に素晴らしい技術を見せつけてくれた。理想の1番打者として君臨してくれた。
3番古田は、前年に落合との競り合いを制して首位打者を獲得していたのだが、このシーズンは主に3番打者として3割を超える打率に30本のホームランを放ってみせた。打撃面でこれだけ進化するとは思っても見なかっただけに非常に驚いたことを記憶している。捕手としても強肩を活かした盗塁阻止でチームを牽引して見せた。このシーズンの活躍で完全にスター捕手の座を手に入れることとなった。
4番広沢克は、本調子ではなかったように感じたが、それでもどっしり4番というポジションをこなし、勝負強い打撃を見せてくれた。チームのリーダー的存在として池山共々活躍してくれた。
5番ハウエルは、序盤戦は不調で、そこまで良い選手に感じなかったのだが、オールスター明けから打ちまくり、終わって見れば打率.331で首位打者を獲得し、ホームランも38本放ち、ホームラン王も獲得して見せた。この新外国人ハウエルの存在も優勝には欠かせなかった。ハウエルが活躍するとともにチームが上昇ムードに乗っていた部分も多分にあると思う。
6番池山は、野村監督が監督に就任して以来、ただの「ブンブン丸」ではなくなった。場面に応じて打撃スタイルを変える柔軟性を身に付け、チームバッティングも出来る長距離砲に変身していった。この池山の6番という打順は今思うとベストの選択だったのかもしれない。このシーズンも30本塁打を記録しているが、ホームラン以外でもチームのためになるバッティングを見せつけてくれた。

この5人の主力はヤクルトに欠かせないプレーヤーだった。その他にはシュアなバッティングを見せてくれる荒井と秦、守備、走塁でチームに貢献した城、時々意外な活躍を見せる橋上、開花目前の土橋などもチームの為に働いてくれていた印象がある。

投手、野手と振り返って見ると選手層は薄いが、何ともスター性のある選手が数多くいることにも気付かされる。自分がまだまだ子どもだったということもあるかもしれないが、見ていて面白いプレーヤーが沢山いたシーズンだった。

そして試合を振り返っていくと勝ちゲームも負けゲームも劇的な試合が多かったように記憶している。前述の荒木復活ゲームもその中に含まれるのだが、9月11日の甲子園での阪神戦、誤審による阪神八木のサヨナラホームランが覆っての延長15回引き分けのゲーム。岡林がリリーフに回った中で広島にサヨナラ負けを喫した試合。天王山と言われた阪神との神宮2連戦での岡林の完封と荒井のサヨナラヒット。そして130試合目の甲子園での優勝ゲームととんでもない試合を何試合も経験する中で優勝を勝ち取って見せた。本当に激動のシーズンである。しかもこの後、常勝軍団西武との伝説の日本シリーズが待っているのである。こんな中身の濃いシーズンを小学生という時期に体験できた私は幸せ者なのかもしれない。
本当に書きたかった日本シリーズについてはまた後日書いてみたいと思う。

P.S 結局今日の記事はほとんど自分の記憶というよりは、ネットで情報を拾いながら書く記事となってしまいました。申し訳ありません。でも本当に夢中になって応援したことを覚えています。

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コメント

  1. sabo より:

    この時代は私もうろ覚えですが今考えれば決して選手層は厚いとは言えないですし、おっしゃる通りよく優勝できたな、と感じます
    ただこのころは一番ギラギラしていた印象はありますね
    仕事人というよりはヤンキーっぽい感じで、少しけんか腰みたいな。

    古田はインタビューでクリーンナップの役割としてホームランを打たないといけない(相手に長打があると印象つけないといけない)からこの年は狙ってフルスイングしていたと言ってました

  2. FIYS より:

    > saboさんへ

    この時代のチームの活気は凄いものがありましたよね。小学生だった私は、なんだかんだで若手のスター選手達に夢中でしたが、今思うと投手では金沢や角や中本や乱橋。打者では杉浦や八重樫や角富士夫辺りのオジサン軍団のいかにも昭和のオヤジを感じさせるような雰囲気も悪くないですね。

    古田は「天才」という形容詞で語られることは少ないかと思いますが、この時代のコメントを見ていると充分「天才性」を感じさせますよね。

  3. でぶちゃん より:

    自分もスワローズファン暦30年以上になりますが、ベストチームが95年オーダーですが、ベストプレイは92年ですね。荒木もそうですが、やっぱりハウエルでしょう。オールスター明けの東京ドーム3連戦3発で3連勝、マジック1での甲子園2発も良かった。今は嫌いだけど広澤もよかったなあ(貧打線の1発が最高)。自分としての92年ベストゲームは9月終盤の阪神戦、荒井のサヨナラ打で野村監督が抱きついた試合と日本シリーズ第1戦の代打杉浦の満塁サヨナラホームランかなあ(ちなみに両方とも神宮生観戦です)

  4. FIYS より:

    > でぶちゃんさんへ

    92年後半戦からのハウエルの爆発は凄かったですよね。神宮での荒井のサヨナラヒットのゲームは非常に大きなゲームでしたよね。杉浦の代打サヨナラ満塁ホームラン含めて現地観戦ですか?羨ましい限りです。

  5. おに より:

    リクエストに応えてくれたのですね。とても嬉しく思っています。ネットで調べながらの記事、大変でしたか?ボリュームのある記事ですね。とても面白かったですよ。
    当時、私は岡林投手や池山選手のファンでした。気持ちはいつも『ガンバレ!ガンバレ!岡林!』『KO!KO!(対戦チーム名)!』でした。今でも、私の家には当時の池山選手などの応援グッズがあるんですよ。なんか捨てずに大事にしてるんですよね。いい思い出がいっぱいです。
    当時、いい試合が多かった。それに魅力のある選手も多くいました。でも一番凄いのは野村監督かもしれないなと思っています。いかに才能のある選手も、それを認めてくれる人がいないと、力を発揮しにくいですよね。10年に1人の選手はそれなりに存在しますが、野村さんみたいな人は何年に1人でしょうか?「千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず」です。野村さんみたいな人にスワローズの監督をしてほしいですね。

  6. FIYS より:

    > おにさんへ

    いえいえ。こちらこそコメント頂きありがとうございます。私も当時、岡林や池山が大好きでした。小学生の頃の文集でも好きな選手として名前を挙げていました。1位は飯田でしたが。ちなみに私は池山の下敷きを持っていますよ。
    また日本シリーズの記事も時間があるときに書きたいと思います。

    やっぱり野村監督の野球というゲームへののめりこみ方は半端ではないですよね。インタビュー映像などを見ていても非常に面白いですよね。最近は体調不良という報道もあり、心配ですがまた色々な野球の話を聞きたいですよね。

  7. でぶちゃん より:

    ベストゲームとは相手チームのファンがどれだけ悔しい思いをするかです。当時の下品でマナーの悪かった虎ファンが、メガホンをグラウンドに捨てて帰るのを見るのがどれだけ気持ち良かったか・・・。来期はあの”カープ女子”が「もう神宮なんか来るもんか」くらい引く試合をやって欲しいものです。

  8. FIYS より:

    > でぶちゃんさんへ

    そういえば一昔前の野球ファンって少しマナーに欠ける部分がありましたかね?

    ヤクルトファンが喜ぶ試合を1試合でも多く見たいですね。

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