はた

選手

このタイトルでピンと来るヤクルトファンの方はおそらく30代以上の方が多いのではないだろうか?80年代後半から90年代中盤にかけてパンチ力のある打撃でチームに貢献した秦真司選手が一時「はた」というひらがな表記を使っていた時期があったのである。登録名自体はひらがなではなかったのだが、私の記憶ではテレビ中継でも「はた」というひらがな表記を使っていたテレビ局もあったように記憶している。「はた」って表記は何ともダサいなあと思ったのだが、「秦」という表記が当時の電光掲示板では読み取りづらかったための措置だったようである。

ひらがな表記というネタのような話も有名ではあるのだが、この秦選手の特徴はやはりその柔らかいフォームから放たれる美しい打球である。決して大柄な選手ではないのだが、構えに隙がなく、どんなボールにも対応できそうな雰囲気を持っていた。改めて調べてみると打率3割を記録したシーズンが1度もなかったのは意外だったのだが、それでも好打者だったことに違いはない。

私がヤクルトを応援し始めたときの正捕手がこの秦選手だった。池山や広沢のようなスター性はなかったのだが、当時の池山や広沢には脆さが目立った。打てない日はからっきし打てなかったように記憶しているのだが、そんな時にポンッと一本流れを変える一打を打ってくれるのが秦選手だった。データを調べていないので、間違っていたら申し訳ないのだが、当時苦手としていた巨人戦で斉藤雅、桑田、槙原辺りが相手だったとして何か打ってくれそうな雰囲気を小学生だった当事の私は感じていた。
いわゆる「打てる捕手」と呼ばれるような選手だったと思うのだが、野村監督からは「捕手失格」の烙印を押され、その後は外野手としてプレーすることになった。外野の守備は非常に危なっかしく、正直最後までそんなに上手くなった印象は残っていないのだが、そんな守備には目を瞑ってでも「使いたい。」と野村監督に思わせるだけのバッティングを持っていた。6~8番辺りの打順で起用されることが多かったと思うのだが、この打順に秦がいることは相手チームからしたら脅威だったのではないだろうか?強力なクリーンアップの後ろに抜群のバッティングセンスを持つ秦がいることで相手バッテリーは気が抜けなかったのではないだろうか?

92年の西武との伝説の日本シリーズではシーソーゲームの大激戦となった第6戦で延長10回にサヨナラホームランを放っている。このシリーズは第1戦の杉浦の代打サヨナラ満塁ホームランがあまりにも有名なのだが、第6戦の秦のサヨナラホームランも杉浦のホームランに負けるとも劣らない値千金の一発だった。

私にとってはこの秦選手は、記憶に残る選手である。守備難があり、使いづらい選手ではあったのかもしれないがそのバッティングは一見の価値があったと思う。晩年は日本ハム、ロッテとパリーグのチームに移籍するのだが、全盛期にパリーグのチームに所属していたとしたらDHでの起用も検討されたのではないか?と感じるくらいの打撃技術を持っていたと思う。もしかすると本来持っている能力からするともっと数字を残してもおかしくなかった選手なのではないだろうか?

P.S 非常に個人的な話になりますが、中学生の時に神宮球場でのナイターの中日戦を観に行ったときに序盤で5点ほどのリードを奪われる厳しいゲームだったのだが、秦の2本のホームランで試合をひっくり返したことがあった(1本はホームランではなくてタイムリーだったような気もするが…)。そんなこともあって好きな選手の1人であることに違いはない。

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コメント

  1. パイン より:

    秦が法大から入団したときは、スピードのある即戦力捕手という印象でした。
    前任が八重樫さんでしたからね。

    しかし、なかなかチーム成績が向上せず、野村さんには「問題外の配球」と
    評価されてしまいました。
    広沢や池山と同様、打撃の人と見られましたかね。
    捕手としては3番手以下の評価だったと思います。

    右打者中心の打線の中では、貴重な左の巧打者でしたね。
    美しいフォームで、確かに巨人の右投手は嫌がっていたと思います。

  2. FIYS より:

    > パインさんへ

    当時の捕手としては細身ですもんね。

    巧打者でしたよね。

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