岩瀬仁紀1000試合登板達成

中日の鉄腕岩瀬が9月28日の阪神戦で1000試合登板を達成した。1シーズン50試合ずつ登板したとしても20年かかるというとんでもない記録である。90年代後半~2010年代後半までのプロ野球界を語る上で間違いなく重要な人物である。90年代後半~現在までのプロ野球は投手の分業化が確立され、リリーフ投手、とくにセットアップマンと呼ばれるクローザーに繋ぐ役割の投手の負担が非常に大きくなった時代である。そんな時代を駆け抜けたのがこの岩瀬仁紀だった。

98年のドラフトで2位指名されるとルーキーイヤーから中日の貴重なリリーバーとして活躍した。私は岩瀬についてはプロに入るまで全く知らない投手だった。98年のドラフトは松坂や上原、福留などが1位で指名される超豊作と呼ばれたドラフトである。そんな同期がいる中でも岩瀬の存在は光り輝いていた。私は当時高校の野球部に所属していたため、あまり試合をテレビで見る事が出来ていなかったのだが、日本シリーズでダイエー相手に投げている姿を見て、そのスライダーのスピードとキレに驚いた。当時は「まっスラ」などと呼ばれていたと思うのだが、140キロ近い球速のスライダーを操る事が出来ており、左バッターだけではなく、右バッターも攻略するのが非常に難しい投手だと感じた事を記憶している。
クローザーとしても400以上のセーブを記録しているのだが、私の中ではクローザーになる前の岩瀬が「ボールの質」という事だけで見れば全盛期だと思っている。クローザーになってからの成績も凄まじいのだが、その辺りは球種を増やしたり、投球術を覚えた事によって成し遂げられた記録だと感じている。
それにしても25歳でプロ入りして、今年44歳となるのだが、これだけの登板数を重ね、常にチームのブルペンを支え続けたというのは驚くべき事である。先程も書いた通り、ボールの質自体は20代後半~30歳くらいまでがベストだったと思う。その後は多少衰えてきたなという印象もあったのだが、それでもそこから10年以上一流の成績を残し続けたという部分が岩瀬の凄さである。リリーフ投手の勤続疲労にはどのチームも頭を悩ましており、選手自身も色々な対策は行っていると思うのだが、それでもリリーフ投手の寿命というのは中々伸びないものである。そんな中この岩瀬の1000試合登板という記録はとてつもない記録なのである。こんな投手が1人でもチームにいてくれたらそのチームは大助かりだろう。もし私が20年前にタイムスリップしてドラフト会議で選手を自由に指名できるのであれば、松坂でも上原でも福留でも藤川でも二岡でもなくこの岩瀬を選ぶと思う。それほどまでに現代野球にマッチした選手だと思う。
9月29日には1001試合登板を果たしたのだが、引退の報道もなされている。雰囲気的に引退の可能性が高いと思うのだが、この投手は間違いなく90年代後半~2010年代後半までのレジェンドプレーヤーである。どうしても記事に残しておきたかった選手である。

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