1988年の助っ人外国人選手(パリーグ編)


今日はパリーグ編である。

西武ライオンズ
バークレオ外野手

・大活躍したのは、この1988年のみだったのだが、飛距離の出る打撃はインパクト抜群だった。「バークレオ」という登録名も印象的である。

近鉄バファローズ
オグリビー外野手

・オグリビーもしっかり覚えている。藤井寺球場でのデーゲームをNHKが中継しており、そのゲームを見たことを記憶している。独特な打撃フォームも印象的である。
ブライアント外野手
・中日で出番がなく、デービスが解雇された近鉄に急遽トレードで移籍したのだが、その後の活躍は周知の通りである。特に88年、89年の活躍は、印象的である。三振の多い打者ではあったのだが、一度打ち出すと止まらなくなり、固め打ちのホームランが多かった印象である。88年は出場74試合で34本塁打という驚異的な数字を残している。

阪急ブレーブス
ブーマー内野手

歴代の最強助っ人外国人候補として名前が挙がる選手である。日本で息の長い活躍をした巨体の強打者である。ただのパワーヒッターという印象ではなく、スイングがコンパクトで率も残せて飛距離が出るバッティングは印象的である。88年は怪我で離脱をしたようだが、それでも強く印象に残っている選手である。

日本ハムファイターズ
イースラー外野手

・この選手は「なぜあのフォームで打てるんだ?」という極端なアッパースイングが印象的である。この時期の日本ハムはイースラー、ブリューワ、デイエットと3人の好打者を揃えていたことも印象的である。

ロッテオリオンズ
荘勝男投手

・この時期は台湾出身の好選手が活躍した時代である。郭源治、郭泰源に比べれば当時弱小チームだったロッテの投手だったこともあってか地味な印象があるのだが、計算できる好投手だった。もし当時WBCがあれば、台湾投手陣は相当強力だったはずである。
マドロック内野手
・ロッテでプレーした時にはすでに晩年だったのだが、それでもパワーのある打撃を披露してくれた。「マドロック」という名前もインパクトがあったし、がっちりした体型から放たれるホームランも印象的である。

南海ホークス
バナザード内野手

暴れん坊のスイッチヒッターの印象である。当時の助っ人外国人選手は、長距離砲が多かった印象なのだが、バナザードに関しては、なんでもこなせる選手という印象である。両打席でコンスタントにヒットを重ねられる技術は素晴らしかった。

近鉄バファローズ、阪急ブレーブス、南海ホークス、ロッテオリオンズというチーム名を見るだけで懐かしくなってしまいます。当時東京ドームを本拠地にオレンジ色のユニフォームで戦っていた日本ハムファイターズ含め、当時のパリーグの雰囲気を思い出すことが出来ます。




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