思い出ショートショート㊱
皆さんは「塚原青雲高校」という学校名を聞いたことがあるだろうか?現在は経営法人が変わり、松本国際高校となっている(その前に創造学園大付属、創造学園時代挟む)。
この塚原青雲高校が、部員わずか17名で夏の甲子園に出場したのが2001年のことだった。当時の塚原青雲高校は、経営難に陥っており、これまで学校として力を入れてきた野球部の特待生についても廃止されていた。おそらく甲子園に出場しなければ学校自体がなくなってしまう可能性もあったと思われる。そんな中で当時の3年生13人を中心とした17名のメンバーで長野大会を勝ち上がることとなる。長野大会、甲子園とほぼベンチ入りメンバーを使わずに「9人野球」で勝ち上がったと記憶している。
私が高校野球に興味を持ったのは、1988年からなのだが、その頃の長野県の高校野球は、丸子実業、松商学園が引っ張る形となっていた。その後に佐久高校(佐久長聖)と松商学園の二強時代に突入し、その二校の背中を、私学の高校、公立の古豪を中心に追いかけるような時代だった。
塚原青雲に関しては、地元民からするとどこか近寄りがたい雰囲気を感じる学校だったことは確かである。どちらかというと荒れた学校というイメージが定着していたのではないだろうか?野球部に関しては、関西の選手を中心としたメンバー構成となっており、塚原青雲が出場する試合は、やはりちょっと空気感が違うと感じていた。グラウンドでもスタンドでも関西弁が飛び交い、松商学園や佐久長聖などの強豪私学の雰囲気とは違っていた。どこか奔放な雰囲気も漂うチームだった。
そんな塚原青雲が、2001年の長野大会で奇跡を起こすこととなる。この年に限らず、塚原青雲高校の野球部は、ほぼほぼ関西圏の選手が中心であり、前年度も野手陣の「個」の力という部分では、2001年度のメンバーを上回っていたのではないか?と感じさせるほどのタレント軍団だったと記憶している。チームが纏う空気感が他校とは違っていたこともあり、ダークホース的存在ではあったのだが、2001年については、選手層の薄さもあり、佐久長聖、松商学園、長野商業(金子千尋擁する)辺りが本命とされていた。
それでも荒れ球の速球派長谷川、技巧派左腕松下というタイプの違う2枚に長谷川程の球速はなくともコントロールが安定している浜地が加わり、この3投手を羽鳥監督が上手くやり繰りする中で長野大会を勝ち進んでいった。準々決勝の武蔵工大二校戦、準決勝の長野商業戦、決勝の佐久長聖戦は、いずれも下馬評では不利予想だったと思うのだが、競り合いを制して、甲子園の切符を手に入れてみせた。準決勝の長野商業戦で浜地、松下、長谷川をこまめにリレーして完封勝利を飾ったゲームは特に印象に残っている。羽鳥マジックが炸裂したゲームとも言えるのではないだろうか?
塚原青雲は、勢いそのままに決勝では王道スタイルの佐久長聖高校も破り、甲子園に出場すると甲子園でも初戦の八頭(鳥取)をシーソーゲームの末8-7で破り、甲子園で1勝をあげてみせた。続く近江(滋賀)には大敗を喫してしまったのだが、部員17名、ほぼ9人野球で甲子園1勝をあげた2001年の塚原青雲は、長野県の高校野球史に残る印象的なチームだった。
松下、須加男の1,2番コンビ、田渕、長谷川、赤嶺のクリーンアップは魅力的だったし、羽鳥監督が時折繰り出す奇策も面白かった。
過去記事はこちらから→「91年の松商学園 | ヤクルトファンの日記」、「上田東VS広島商 | ヤクルトファンの日記」、「金子千尋に注目 | ヤクルトファンの日記」
P.S 塚原青雲と言えば、創始者の塚原善兵衛氏も印象的である。90年代はすでに高齢だったと思うのですが、スタンドで観戦する姿を見掛けたことがあります。かなり特徴的な方だったようですね。
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