91年の松商学園

高校野球

思い出ショートショート⑫

91年の松商学園は、おそらくアラフォー世代以上の長野県の高校野球ファンにとっては伝説のチームである。私は、88年から高校野球を見るようになったのだが、長野県の高校が甲子園で勝利する姿を見たことがなかった。上田東も丸子実業も夏の甲子園では初戦で敗れてしまい、センバツに至っては長野県の高校が出場する姿さえ見ることが出来ないでいた。そんな時に甲子園の舞台で快進撃を見せたのが松商学園だった。
私が小学校3年生、4年生の時の出来事なのだが、強く印象に残っている。特にセンバツでの準優勝に関しては、「長野県の高校は弱い。」という先入観込みで見ていたため、その衝撃、興奮は大きかった。冗談抜きで当時の松本市近隣の小学生は、プロ野球選手よりも松商学園のナインの方が人気があったと記憶している。
1番セカンド荒井、2番センター清沢、3番キャッチャー辻、4番ライト岡元、5番ピッチャー上田、6番サード二村、7番レフト花岡、8番ファースト内藤、9番ショート高橋というセンバツのスタメンは特に印象的である。大型エース上田とキャプテン辻のバッテリーと全国屈指のトップバッター荒井を中心とした大型チームという印象なのだが、その他の脇を固めるメンバーも個性的であり、勝ち上がるたびに長野県民のボルテージが目に見えて高まっていったことを覚えている。
1回戦はエース鈴木一郎(後のイチロー)擁する愛工大名電に3-2で勝利。
2回戦は大会屈指の大型エース谷口を擁し、優勝候補筆頭の呼び声高かった天理に2-0で勝利。
準々決勝はその年の夏の甲子園で優勝を飾るタレント集団大阪桐蔭に3-0で勝利。
準決勝はエース菊池と4番石渡を擁し、秋の明治神宮大会で敗れていた国士館に1-0で勝利。
この勝ち上がり方は、凄まじい。正直1回戦から準決勝まで戦前の予想では松商不利予想の方が多い対戦ばかりだったと記憶しているのだが、エース上田の安定感抜群の投球もあり、守り勝つ形で決勝の舞台まで駆け上がってみせた。
正直決勝の広陵戦が唯一、戦前の予想では松商有利なのでは?と言われるゲームだったと思うのだが、疲労が溜まった上田に本来のボールのキレ、コントロールがなく、一時は3点のリードを奪ったのだが、追いつかれ、最後は代わった中島が下松にサヨナラ打を浴びてしまい、準優勝に終わってしまった。前進守備を敷いていたライト上田の頭上に飛んだ飛球を捕球出来ずに、サヨナラ負けとなってしまったシーンは30年が経過した今でもはっきりと覚えている。

ここから始まった松商フィーバーは夏まで続いていくのだが、夏はチームの骨格を担っていたトップバッター荒井が県大会で負傷(校内のクラスマッチで負傷したとの噂も耳にしたことがあるが…)、上田の調子も上がらず、春に比べるとチーム状態が整っていない印象もあったのだが、
それでも甲子園では初戦で荒井の代わりにトップバッターを任された二村が2本のホームランを放つなど岡山東商に6-2で勝利。
2回戦では甲子園で結果を残せず苦しみ続けていた岡元の大活躍もあり、8-3で八幡商に勝利。
3回戦は松商上田、四日市工井手元の両エースによる投げ合いの末、延長16回の大激戦で四日市工業に4xー3でサヨナラ勝利。
準々決勝は、2年次の松井秀喜が4番を務める星稜に2-3で敗れたのだが、春、夏の甲子園での松商の戦いぶりに長野県は大いに盛り上がった。

94年の佐久高校の夏の甲子園ベスト4も盛り上がったのだが、91年の松商学園は長野県の高校が全国の壁に跳ね返され続けていたという時代背景も相まって、特別に盛り上がった印象が残っている。それから30年が経過するのだが、この時以上に長野県の高校野球界が盛り上がったという記憶はないのである。「高校野球」という枠に収まり切らないレベルで人気のあるチームとなっており、長野県では社会現象になっていたくらいの伝説のチームである。

私の中でも91年の松商学園は伝説のチームだし、春休み、夏休みの思い出にもなっている。愛工大名電戦を見た後で友達と草野球をして遊んだこと、国士館戦は小学校の入学式と重なっていてリアルタイムで見れなかったこと、広陵戦は学校で少しだけテレビを見せてもらったこと、夏の八幡商業戦は親戚でキャンプに行って行って携帯ラジオで観戦したこと、四日市工業戦は夏休みの最終日で家族みんなで激戦を観戦し、終わった後に夏休みが終わることを感じ、憂鬱な気分になったこと。星稜戦は学校で敗戦を知り、小学生ながらに皆で敗因を語り合ったことなどを覚えている。

ショートショートの枠に収まり切らない記事になってしまいました。それ程までに夢中で応援したのが91年の松商学園です。

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コメント

  1. tko より:

    読ませていただいて当時の記憶が蘇りまし。懐かしいなぁ〜。かっこよかったですね、松商学園。前も書きましたが、大垣商の時の大垣のお祭り騒ぎが凄まじかったのでわかりますが、松本ではとんでもないフィーバーだったでしょうね。今でも松商学園の名前見るとワクワクします。この年の春夏の甲子園もかなり面白かったですね。大阪桐蔭が和田背尾萩原擁して強かった記憶。

  2. FIYS より:

    tkoさんへ

    松本のフィーバーぶりは凄かったですよ。

    大阪桐蔭は確か春も夏も甲子園は初出場だったと思うのですが、当時からタレント揃いでしたね。和田、背尾のタイプの違う二枚看板に萩原が居て、そこに沢村や井上という好打の左打者もいましたからね。夏の再戦も見てみたかったんですけどね…

  3. パイン より:

    この年の松商学園は印象に残ってますね。前評判も高かったのでしょうが、イチローとの直接対決の時に「松商のピッチャーいいねえ」と思った記憶があります。当時も打ち気満々のイチローに対し上田投手は冷静に対応し、バランスの良さは東亜学園の川島や津久見の川崎に匹敵すると感じました。打線も確実に点を取って投手を援護し、伝統と強さを併せ持った好チームと見ていました。

  4. FIYS より:

    パインさんへ

    この年のセンバツでの上田の投球は見事でしたよね。優勝候補を立て続けに完封で撃破する姿に興奮しました。

    川島、川崎共に高校時代の投球の記憶は残っていないのですが、2人とも超高校級だったのでしょうね。

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