大豊泰昭氏死去

大豊泰昭さん51歳(たいほう・やすあき=元プロ野球選手)18日、急性骨髄性白血病のため死去。葬儀は近親者で営む。
台湾出身。名古屋商大、中日の球団職員を経て、1988年のドラフトで2位指名を受けて中日入り。尊敬する王貞治氏の一本足打法で活躍し、94年に38本塁打、107打点で2冠に輝いた。

98年から阪神でプレーし、2001年に中日に復帰。02年限りで引退した。通算成績は1324試合で打率2割6分6厘、277本塁打、722打点。(毎日新聞引用)

あまりに早過ぎる訃報である。正直現役バリバリで活躍していた時代を知っている選手の訃報というものにほとんど直面したことがないため私自身もショックを受けている。先日NHKBSの古田敦也氏の番組に出演していたのだが、だいぶ痩せ細っていたため心配していたのだが…(どうやら再放送だったらしいのですが…)それにしてもテレビで見たばかりだったので驚いてしまった。「急性骨髄性白血病」という病の恐ろしさを感じさせるニュースだった。

私が小学校の頃には大豊氏は中日の主力選手だった。同じく台湾出身の王貞治氏の一本足打法を参考に作り上げたフォームは強さと美しさが同居したようなフォームだった。私と同じくらいの年齢の野球少年は皆一度は真似したことがあるフォームだったのではないだろうか?
そのフォームから放たれる打球は迫力満点であり、多少差し込まれてもスタンドインさせてしまうほどパワーのある打者だったと記憶している。本拠地がナゴヤドームになる前のナゴヤ球場を本拠地としていた時代の中日は「恐竜打線」などと言われ猛威を振るっていたのだが、その中心にいた選手の一人がこの大豊氏だった。良くも悪くも長距離砲らしく「ツボと穴」を持った選手だったのだが、相手チームからすると非常に怖い打者だったのではないだろうか?私の印象ではホームランの怖さはあるが、安定感に欠けるため打率は残せないようなイメージがあったのだが、改めて調べてみると94年には打率も3割を超しており、96年にも3割近い打率を残している。そして阪神トレード後は一気に力が衰えてしまった印象があったのだが、こちらも調べてみると99年に26試合連続安打を記録し、規定打席不足ながら打率.341というハイアベレージを叩き出し、ホームランも18本放っている。
私の印象以上に数字を残していた選手なのだと知ることが出来た。とにかくバット一本で結果を出し続けた古き良き時代のスラッガーというのが私達の年代のファンの方々の印象ではないだろうか?

ご冥福をお祈りします。

P.S おそらくこのような訃報の記事を書くのは初めてかと思います。失礼のないように書いたつもりですが、もし失礼にあたる部分などあればご指摘いただけたらと思います。

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コメント

  1. sabo より:

    90年代を代表する偉大な選手の一人でした
    活躍された年数も長くて素晴らしい

  2. FIYS より:

    > saboさんへ

    本当に残念なニュースでしたね。記憶に残るスラッガーでした。

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