石堂のカーブに夢を見た

選手


ヤクルトがドラフト会議で指名した「松坂世代」の選手といえば館山の名前が真っ先に上がると思うのだが、最初に注目されたのは、松坂同様1998年のドラフト会議で1位指名を受けた石堂克利だった。
石堂は、愛工大名電の投手として甲子園にも出場しているのだが、登板機会はなく初戦の日南学園戦で敗れている。当時は、そこまでインターネットというものが発達していなかった時代でもあり、石堂は甲子園でもトップクラスに注目されていた選手という印象は全く残っていない。私の中では6位でヤクルトに指名された高橋一正(明徳義塾)の方が印象に残っていたくらいである。→「「松坂世代」の好投手高橋一正 | ヤクルトファンの日記
石堂の名前が世に広まってきたのは、ドラフト直前の事だったように記憶している。おそらくは「素材が良い」、「伸びしろがある」と表現されることが多かったのではないだろうか?私自身石堂という名前を聞いてもピンと来ていなかった。その石堂をヤクルトは1位で入札し、見事単独指名にこぎつけたのだが、ドラフト史上に残る豊作年と言われた98年ドラフトの中では1位指名を受けた割には扱いが小さかったように記憶している(まあ各球団が指名した選手が当時のアマチュア球界の超大物ばかり+プロ入り後も大選手になる選手が多かったですからね。)。
その石堂は、ルーキーイヤーから故障との戦いに終始し、ほぼ名前を聞かないまま、5年目のシーズンを迎えていた。正直私の中では石堂の名前は忘れ去られていたのだが、その5年目のシーズンにプロ初登板、初勝利を上げるなど4勝1敗、防御率3.67という数字を残すと、翌シーズンには、開幕ローテ入りを果たしてみせた。するとポンポンと勝利を重ね、一気に期待の星の一人となっていった。
ストレートのスピードはアベレージで140キロ台前半くらいだったと思うのだが、縦のカーブを上手く使うことによって、相手打線のタイミングを外す技巧的な投球に特徴があった。1990年代の中頃からNPBではスライダーやカットボールを使う投球スタイルが全盛を迎えており、縦のカーブを使う投手が極端に少なくなっていたことも石堂にとっては追い風になっていたかもしれない(2000年代に入り、徐々にカーブを投げる投手も増えていましたが…)。このカーブは中々インパクトがあった。縦変化で球速は遅いのだが、綺麗な球筋のカーブであり、石堂の器用さを垣間見た気がした。もしかするとこのまま一気に石堂がエース級の投手になるのでは?などと淡い期待を掛けた時期もあったのだが、その後すぐに調子を崩し、1軍では全く通用しなくなってしまった。開幕直後に勝利を重ねた時は、決して打線の援護のおかげで勝てたということではなく、石堂がしっかり結果を残した中で勝利を重ねていたと思うのだが、その後ぱったりと通用しなくなってしまった。コンディション面の不調があったのか、メカニック部分のずれが生じてしまったのかは分からないのだが、2004年開幕直後の輝きが石堂にとって最初で最後の強烈な輝きとなってしまった。
各球団が成果を上げた98年ドラフトに関しては、ヤクルトは失敗ドラフトとして語られることが多いのだが(ドラフト5位の河端は結果を残しましたが…)、石堂という綺麗な縦カーブを操る松坂世代の投手がいたことを記しておきたい。

P.S 晩年は、野手転向の話しも出ていましたかね?




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