テリー・ブロスの成功

選手


1995年にテスト生からヤクルトに入団した長身投手がテリー・ブロスだった。92年、93年とリーグ制覇を果たしながら、94年は4位に沈んでしまい、主力だった広澤、ハウエルが巨人に入団することとなったシーズンにヤクルトは、阪神からオマリー、ロッテからミューレンを獲得していたのだが、投手ではこのブロスを獲得した。私は、88年からヤクルトファンになったのだが、当時は、野手の助っ人外国人選手は結果を残す選手も多かったのが、投手については、正直結果を残す選手が少なく、小学生ながらにテスト入団となったブロスについてもそれ程期待していなかった。
しかし2mを超す長身から投げ込まれる角度のあるストレートと縦のスライダー、チェンジアップ、フォークを駆使して、開幕直後から相手打線を寄せ付けないピッチングを披露してくれた。当時はまだ2mを超すような長身投手で結果を残すような投手がいなかったこともブロスにとっては追い風になったのかもしれない。高低を上手く使って抑え込むスタイルがはまり、難攻不落の存在となっていった。その後疲労もあってなのかボールの走りが悪くなり、一旦リリーフに回されることもあったのだが、シーズン後半になると再度ボールの勢いを取り戻し、巨人戦ではノーヒットノーランを達成してみせた。当時の「野村ヤクルト」VS「長嶋巨人」の対決は殺伐とした雰囲気もあり、特別なゲームだったのだが、その巨人相手に快投するブロスの存在がファンとして心強かったし、誇らしかった。
結局ブロスはこの年、14勝5敗、防御率2.33という成績を残し、最優秀防御率のタイトルを獲得すると日本シリーズでもオリックスのスター、イチロー封じのキーマンとなり、シリーズ2勝を上げてみせた。その後のシーズンでは、他球団に対策を練られてしまったり、打者がブロスの角度に慣れてきたこともあってか、1年目のような数字を残すことが出来なかったのだが、それでも印象に残る助っ人外国人投手となった。
このブロスの成功が、ヤクルトの助っ人外国人投手獲得の1つの指標になったという部分はあるのではないだろうか?日本人選手にはあまりいない角度を持ったパワー型の投手を獲得し、日本で成功を収めた事例が増えた要因の1つは、ブロスの活躍があったからこそだと考えられる。そういった意味でテリー・ブロスはヤクルト球団を変えた助っ人外国人投手の1人と言うことも出来るのかもしれない。




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コメント

  1. アーム より:

    ブロスってそんなに短い期間だったんですね!

    4〜5年は活躍してそうなイメージでした!

    • fiys より:

      アームさんへ

      それくらい印象に残る選手でしたよね。特に1年目の活躍は凄まじかったですからね。

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