メガネ+職人=土橋勝征

選手


92年、93年のリーグ制覇の主軸を担った広沢、ハウエルが巨人に移籍し、新たな戦力で戦う必要があった95年シーズンにセカンドのレギュラーを獲得し、リーグ優勝、日本一に大きく貢献してくれたのがメガネの職人、土橋勝征だった。
80年代後半からのヤクルトはとにかく明るい雰囲気が特徴であり、池山も古田も広沢も飯田も、もっと言えば栗山や笘篠、城らも華やかさを身に纏っていた。そんなチームで表情を崩さず、黙々と自分の役割りに徹する土橋のプレースタイルは逆に新鮮に映ったし、何よりチームを強くしてくれた。当時のヤクルトは、93年のリーグ優勝、日本一に貢献してくれたハドラーも1年で退団となってしまったこともあり、中々二塁手を固定することが出来ずにいた。94年シーズンは様々な選手が二塁のポジションに就いたのだが、レギュラーを獲得するには至らなかった。そんな中で頭角を現したのは、これまでユーティリティプレーヤー的な役割を任されていた土橋だった。
土橋は、千葉県の印旛高校からドラフト2位でヤクルトに入団している。高校3年の夏の千葉県大会では1大会5本の本塁打を放ったスラッガーでもあった。同郷の飯田哲也が一足早く頭角を現し、92年、93年のリーグ制覇に主力として貢献した一方で、土橋は、レギュラー定着には至っていなかった。しかし95年は、バットを極端に短く持った独特なスタイルで結果を残し、何でもできる器用な3番打者としてチームに欠かせない存在となっていった。先日記事にしたハドラーとは対照的に、数字以上に、そのプレースタイルや野球への取り組み方を野村監督に評価されていた選手であり、そのこともあってか、テレビの中継でも解説者の方々がこの土橋を評価するコメントをすることが非常に多かったことを記憶している。私自身もこれまでにいなかったタイプの3番打者という印象で、土橋については非常に心強い存在の選手という印象が強く残っている。状況に応じた打撃が出来るタイプの選手であり、打率以上に相手チームに嫌がられる存在になっていたのではないだろうか?特に劣勢の展開のゲーム終盤の打席では、場面場面で、最も求められている役割を徹底している姿があり、野球IQの高さを感じさせてくれた。そして何より勝負強い打者だった。
守備面では、プロ入り後イップスに陥ってしまったようなのだが、私はそのことを全く知らなかった。数年前にスポーツ雑誌の記事で初めて知ったくらいである。セカンドの守備も送球面も含めてそんなに不安要素があった選手という印象はなく、普通に上手いセカンドとして記憶していた。正直96年に移籍してきた辻が翌年から一旦セカンドのレギュラーとなっていたことを忘れそうになるくらいだった。逆に言えば、そんな不安要素を持ちながらも表情を崩さず、淡々とプレーを続けていた土橋は、やはりプロフェッショナルなプレーヤーだったのだと思う。
おそらくキャリアハイは、95年シーズンということになると思うのだが、その後も長年に渡って渋く、しぶとくチームを支えてくれた。現役時代は、口数も少ない選手だっただけに、巧みな話術で盛り上げる他の主力選手に比べて報道量も少なかったのだが、その寡黙さ含めてヤクルトファンには評価されていたのではないだろうか?プロで生き残るために、自分のスタイルを変えながら、レギュラーの座を掴んだ土橋の存在は、90年代~00年代前半のヤクルトを語る上で欠かせない。




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コメント

  1. 超匿名 より:

     当時のリーグナンバー1投手の上原をして、一番対戦したくない打者として
    この人の名前を出していたと思います。超一流に嫌がられるのも一流の打者の証でしょうね。

    • fiys より:

      超匿名さんへ

      ヤクルトの強力打線の中でも特に土橋が投げ辛いとコメントしていた投手は何人かいましたよね。超一流に嫌がられる一流の打者という表現は、土橋にピッタリかもしれませんね。

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