五十嵐亮太引退

選手

今季限りでの現役引退を発表したヤクルト・五十嵐亮太投手(41)が15日、東京・北青山の球団事務所で会見した。「今シーズンで引退することを決意しました。きょうまで平坦な道ではありませんでしたが、人の縁にも恵まれここまでやってくることができました」と安堵(あんど)したような表情だった。

すべて救援で日米通算905試合に登板。北海道出身で千葉・敬愛学園高から1998年ドラフト2位でヤクルトに入団し、活躍。石井弘寿・現1軍投手コーチとのコンビは「ロケットボーイズ」と呼ばれた。2004年には抑えを務め、当時の日本選手のプロ野球最速タイとなる158キロをマーク。同年は37セーブを挙げて、最優秀救援投手となった。
(サンケイスポーツ引用)

上記の通り五十嵐が今シーズン限りで引退することとなった。日米で23年間プレーしての引退である。五十嵐に関しては、過去記事でこれまでの印象などを振り返っているため興味のある方は目を通してもらいたい。→「五十嵐亮太40歳を目前にヤクルト復帰」、「ソフトバンクが日本一

同じような内容のことを何度も書いても仕方ないのだが、過去記事にも書いた通り、プロ3年目でブレイクした時にはこんなに長きに渡って第一線でプレーできるタイプの投手になるとは思いもしなかった。とにかくストレート一本で勝負する豪快な投球スタイルでのデビューだったのだが、そこから徐々に変化球やコントロールの精度を高め、メジャーでは大きな実績を作ることは出来なかったが、日本に戻ってきてから、メジャーで身に付けたものをしっかりと披露してくれた。若い頃は「剛腕」、「イケメン」という部分にスポットライトが当たることが多かったのだが、日本に帰ってきてからはソフトバンク、ヤクルトのリリーフ陣のリーダーとしてチームに大きく貢献してみせた。

私が初めて生で五十嵐の投球を見たのは、2000年の松本市営球場での広島戦だった。当時まだ高卒3年目の投手だったのだが、ストレートで押し切る投球スタイルと「キムタク似」のルックスで人気は抜群だった。当時の松本市営球場は屋外のブルペンと室内のブルペンのどちらも見ることが出来たのだが、私がトイレに行った時にたまたま室内の投球練習場で投げている五十嵐の姿を見ることが出来た。席に戻って一緒に観戦していた友人に五十嵐がブルペンで投げていたことを伝えると、その声を聞いていたと思われる近くで観戦していた人達が試合中にも関わらず、席を立ち、五十嵐の姿を見に行ったことを覚えている。
そのゲームで五十嵐は登板し、やはりストレートで押し切る投球スタイルを披露してくれたことを覚えている。五十嵐のデビュー時を知らないファンの方々も多いと思うのだが、当時はまだ150キロを超えるストレートを投げ込む投手は多くなかった。そしてストレート一本槍の投球スタイルで相手打者と対峙する投手も皆無だった。それだけに五十嵐の投球はどこまでも粗削りでどこまでも魅力的だった。結果を度外視して、とにかく「見たい!」と思わせる魅力を身に纏ったスター性抜群の若者だった(映画「メジャーリーグ」のリッキー・ボーンのようなイメージ)。
私が初めて買ったレプリカユニフォームは五十嵐のものだった(選手の名前入りのレプリカユニフォームは五十嵐のもののみである。)。個人的にも思い入れのある選手である。五十嵐がメジャーに移籍した後もそのレプリカユニフォームを着てヤクルト戦の応援に行った際には、ヤクルトファンの見知らぬオジさんから「早く五十嵐に戻ってきてもらいたいよな。」と声を掛けられることもあった。

そんな五十嵐が40歳を目前にヤクルトに戻ってきて、リリーフ陣のリーダーとしてしっかり結果を残してくれた。これほど嬉しいことはなかった。ストレートのスピードは衰えたと言っても150キロを記録するだけのボールは投げ込めていたし、日本に戻ってきてからの代名詞となったナックルカーブも上手く駆使して投球を組み立てていた。今シーズンはここまで1軍での登板は叶わなかったのだが、それでも最後にヤクルトでもう一花咲かせてくれたことがファンとして嬉しかった。

20歳の五十嵐ももちろんカッコ良かったのだが、40歳の五十嵐も最高にカッコよかった。男としてこういった年齢の重ね方が出来たら最高だろうと思う。五十嵐の投球に魅せられたファンの一人として引退は寂しいのだが、ヤクルトに戻ってきてくれたこと、そこでしっかりと活躍してくれたことには大きな喜びも感じている。23年間のプロ野球生活本当にお疲れさまでした。そして本当にありがとうございました。

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コメント

  1. JEF九郎 より:

    私も五十嵐は同級ということもあり、非常に親近感のある投手でした。石川もそうですが、会社で辛いことがあった時、気晴らしに神宮に行った際に、彼の気持の入ったマウンド姿と、若くから第一線で活躍している姿に刺激と勇気をもらいました。引退は残念ではありますが、これまで走り続けてきたことへの感嘆な想いと感謝の気持ちが強いです。23年間大変お疲れ様でした。これからも応援してます。

  2. 超匿名 より:

     若い頃は投げる度に後ろを振り返って自身の球速を気にしていましたね。私も彼が登板すれば何キロ出すのかということを楽しみにしていました。
     野村ヤクルト時代に入団して残っていた最後の現役選手だそうです。野村氏が死去した年にヤクルトで現役を終える形になったというのも、何かの縁があったということですかね。
     

  3. タラちゃん より:

    ホークス行った時点でもうスワローズに戻ってこないのか?と諦めていたが、
    最後に古巣に戻ってきて、
    ここまで長くやれたっていう印象。
    それも丈夫に900試合以上の登板とはね。
    あの担ぎ投げで絶対壊して、早い引退になると思ってたが、ここまで丈夫にできた。その経験をスワローズの選手に還元してほしいですね。
    まずは休んでほしいですね。
    お疲れ様でした。

  4. FIYS より:

    JEF九郎さんへ

    ピンチで三振を奪って、叫びながらガッツポーズを繰り出す姿が印象的です。私も五十嵐には勇気をもらった気がします。

  5. FIYS より:

    超匿名さんへ

    野村ヤクルト時代に入団した選手で現役を続けていたのは五十嵐だけだったのですね。1つの時代の終わりですね。

  6. FIYS より:

    タラちゃんさんへ

    1軍デビューしたばかりの頃は身体の線も細かったですからね。これだけ長きに渡ってリリーフ一本で活躍する姿は想像できませんでしたよね。探求心が旺盛な選手だったのでしょうね。

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