村田亙

思い出ショートショート⑪

80年代後半から00年代まで日本トップの実力を誇った息の長いスクラムハーフである。同年代のスクラムハーフでは早大、神戸製鋼で活躍した堀越正巳がいるのだが、堀越はゲームメイク、ボール捌きに優れたいわゆる日本の伝統的なスクラムハーフの系譜に沿ったスキルの高いスクラムハーフという印象があるのだが、村田は、ランやキックのスキルの高さを活かした攻撃的なスタイルのスクラムハーフという印象が残っている。
そのスキルの高さは専修大学時代から高く評価されていたと思うのだが、個人的に強く印象に残っているのは東芝府中時代である。当時の社会人ラグビー界は絶対王者神戸製鋼の時代が続いていたのだが、その神戸製鋼に果敢に挑んでいたのだが、東芝府中だった。神戸製鋼との激闘は当時のラグビー界を語る上で欠かせない戦いだった。神戸製鋼の連覇が7で途切れると、その後は東芝府中が3連覇するなど一時代を作っている。その中心にいたのが村田亙である。
20代前半の頃はアグレッシブなプレーぶりに世界を意識できるスクラムハーフが表れたと感じていたのだが、年齢を重ねるごとに巧さも加わり、徐々に味のある選手に変化していった。当時の日本ラグビー界では異例だったフランスリーグへの移籍も大きなニュースだった。日本ラグビーがまだまだ世界から遅れを取っていた時代の出来事である。このフランスリーグでプロ契約を結んだこと自体が、村田の偉大さを感じさせてくれる。
私自身はやはり東芝府中時代のアグレッシブに仕掛ける姿が印象的なのだが、フランスから日本へ戻ってきた後でヤマハ発動機で長年プレーし続けたことも忘れてはならない。この頃になるとベテランらしい落ち着いたプレーでチームを引っ張っていたのだが、若い頃の村田を知っているファンからするとプレースタイルを変えながら息の長い選手になったことへの驚きも感じたのではないだろうか?
ラグビーが今とは違った形で人気を博していた時代であり、個性的な選手が数多く存在していたのだが、スクラムハーフではこの村田の存在が際立っていた。

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