元気印!度会博文

選手

度会博文を皆さんは覚えているだろうか?レギュラーを奪取することこそ出来なかったのだが、いつでも元気いっぱいプレーする姿が印象的なムードメーカーである。私は度会が指名された93年のドラフト会議をリアルタイムでテレビで見ていたことを覚えている。確かテレビ朝日系列で生中継されており、私が見ていた地域では3位指名が終わるまで中継されていた。大学、社会人に逆指名権が与えられたドラフトであり、始まる前から上位指名者はある程度どの球団に指名されるか分かっている中でのドラフトとなっていた。淡々とドラフト会議は進行していったのだが、放送終了直前にヤクルトが指名したのが当時はそれ程大学野球界では名前を聞かなかった中央学院大学の度会博文だった。この度会が指名された瞬間、解説者の方が「ここに来て全く知らない選手が指名されましたよ。」という主旨の発言をしたことを今でも覚えている(野崎靖博氏だったかなあ…)。まだインターネットもない時代であり、いわゆる「隠し玉」が存在していた時代のドラフト会議ならではの光景だった。情報がなく、おそらく映像や画像も用意されてなかったのではないだろうか?放送終了直前に指名されたミステリアスな選手の存在が私の中では気になっていた。

そんな度会が1軍の舞台に登場したのは入団して5シーズン目となった98年シーズンのことだった。特別足が速いわけでもなく、守備が上手い訳でもなかったのだが、複数ポジションを守ることが出来るようになっており、バッティングに関してはパンチ力も兼ね備えており、センスを感じさせてくれた。レギュラーを掴むことは出来なかったのだが、ベンチのムードメーカーとしてユーティリティープレーヤーとしてチームに欠かせない存在となっていった。目立った能力がある選手ではなかったのだが、どのような場面で起用されても良いように常に準備をしつつ、チームに活気を与えるようベンチで奮闘していた姿は印象的である。
大学卒業後4年間1軍に上がることが出来なくても15年間プロの世界でプレーすることが出来たということは度会が数字以上にチームに貢献していたことを示しているのではないだろうか?

Wikipediaで確認するとドラフト指名の経緯が神宮外苑で草野球をしていたところがスカウトの目に留まったという表記があった。聞いたことのあるエピソードではあったのだが、にわかには信じられないようなエピソードである(しかも3位指名ですからね…)。それだけ光り輝いていたのだろう。
そして今、度会氏の息子である横浜高校の度会隆輝に注目が集まっている。1年次から名門横浜高校でベンチ入りを果たし、しっかりと数字も残してきている。右、左の違いはあるのだが、そのバッティングセンス、元気に野球に取り組む姿は父親譲りのものがあると感じる。兄も父と同じ中央学院大学で野球を続けているため、今後もしかすると親子2代に渡ってヤクルトでプレーする可能性もあるかもしれない。93年のドラフト会議で指名されたミステリアスな選手の物語を現在に至るまで追うことが出来るとは…。何か不思議な感覚に陥ってしまう。

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コメント

  1. タラちゃん より:

    度会ってノムさん時代よりも若松監督時代の左投手時の起用や代打とかけが人出たときの起用のイメージでしたね。
    明るい性格でムードメーカーで、練習態度とか良かったのでしょうから、15年も選手で所属して、そのあとチームスタッフとして残っている証拠なんでしょうね。

    今後、親子でスワローズ所属になるのか?
    今年のドラフト会議には注目ですね。

  2. FIYS より:

    > タラちゃんさんへ

    そうですね。若松監督時代の便利屋のイメージですね。これだけチームに残っているということはやはり練習態度や人格の部分が良かったからなのでしょうね。

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