大村一VS奥田真一郎VS藤原正和

大学駅伝

このブログを熱心に読んで下さっている方であれば、私が箱根駅伝をはじめとする大学駅伝を楽しみにしていることはご理解していただいているかと思う。プロ野球同様に小学校1年生くらいの時期からはテレビ観戦をしていた記憶が残っている。その中で様々な名場面を見ることが出来たのだが、その中でも特に印象に残っているのが、第77回箱根駅伝5区での大村一VS奥田真一郎VS藤原正和による激しい往路優勝争いである。

この時代は駒沢大学と順天堂大学が激しく王者を争っている時代であり「紫紺対決」などと大々的にマスコミに取り上げられていた時代である。そんな両チームが本命視された中で行われたレースではあるのだが、往路路を大いに盛り上げたのは、法政大学だった。前年も1区徳本、2区坪田という強力な2枚看板で前半戦を大いに盛り上げてくれていたのだが、この年も1区黒田、2区徳本という布陣でロケットスタートに成功していた。しかし3区以降の布陣という意味では、他大学より劣ることが予想されており、前年も1区、2区で連続区間賞を獲得しながらシード権を確保することが出来なかった。2区終了地点では計算通りのレース展開にはなっていたと思うのだが、「3区以降がどれだけ粘れるか?」という部分が法政大学の課題だった。
この年の往路は2区以降のランナーは強烈な向かい風に苦しめられることとなったのだが、先頭を走る法政大学にはこの向かい風が追い風となった。常時1号車の後ろを走る形となり、結果として1号車を風除けとして利用しながらレースを運ぶことができた。先頭を走るからこそのメリットを最大限に活かし、決して前評判の高くなかった3区竹崎、4区中村も好走し、トップのまま5区大村に襷をつなぐことに成功した。4区終了時点では「出来過ぎ。」と言っても良いような法政大学のレース運びだったのではないだろうか?しかし5区に襷が渡った時点でトップの法政大~29秒遅れの2位に順天堂大、1分10秒遅れの3位に中央大が付けていた。2位順天堂大の5区のランナーは西脇工時代からエースとして名を馳せていたエリートランナー奥田真一郎。そして3位の中央大は、1年次に5区で区間賞を獲得し、大学進学後学生長距離界トップの実力を付けていた藤原正和ということで、5区が始まった段階でも法政大が往路優勝争いに絡むと予想していた識者は少なかったのではないだろうか?おそらくは西脇工業の先輩、後輩にあたる奥田VS藤原による激しい往路優勝争いが繰り広げられると予想した者が多かったはずである。
しかしその予想を覆す激走を見せたのが法政大学の大村一であった。私は長野県人であるため大村一の存在は高校時代から認識していた。この時代はまだ佐久長聖高校が長距離部門に力を入れる前の時代(大村が卒業した翌年度~佐久長聖高校の一強時代がスタートする)であり、長野県では上伊那農業や東海大三(現東海大諏訪)が実力校として君臨していた。そんな時代にあってごく普通の公立高校である田川高校に県№1を争う長距離ランナーが現れたこと自体異例のことであったため、長野県の陸上ファンの間ではこの大村は知られた存在になっていた。
都道府県対抗男子駅伝にも出場し、長野県が大躍進したレースでしっかり戦力となってくれていた。何度も言うがこの時代はまだ佐久長聖高校が全国レベルにあったわけではない。そんな時代に都道府県対抗男子駅伝で上位入賞を果たしたのだから、長野県の陸上ファンを大いに驚かせてくれたのである。その中でも大村の存在は一際異彩を放っていた。
法政大学入学後もしっかり箱根駅伝を走れるだけのランナーに成長し、前年も5区を区間中位で走っていた。決して山上りに強いランナーという印象はないのだが、間違いなく気持ちの強いランナーではあった。その大村の気持ちの強さが奥田、藤原との激闘を生むこととなる。

奥田、藤原との差はどんどん縮まるものだろうと予想しながら日本テレビの実況、解説も話をしていたと思うのだが、大村は先頭を走るメリットを最大限に活用しながら、奥田、藤原との差をそれ程縮められずにレースは残り5キロほどまで推移することとなる。この地点では奥田も藤原もじりじりと大村との差を詰めており、最高点に差し掛かる地点では物凄い向かい風を受けながら必死に前に進もうとする3選手が100m以内にひしめく展開となる。残り4キロほどとなった所でついに奥田が大村を捉えて首位に立ち、大村の粘りもここまでと思われたのだが、なんと大村はここでスパートを掛け、逆に奥田との差を広げてみせたのである。激しい向かい風の中で山を登ってきたランナーとは思えない、鬼気迫るスパートだった。まだ残りは4キロ近くあったにも関わらず、そのスパートはまるで100~200m先にゴールがあるかのようなスパートだった。無謀にも感じるスパートだったのだが、この走りに大村の往路優勝への強い想いを感じることが出来た。奥田や藤原との実力差を考えればもっと違ったレースマネジメントを行っても良かったようにも感じたし、復路のことも考えて無難に走り切ることも出来たはずなのだが、大村はそういう選択をしなかった。常に強気のレース運びには感動したし、その心意気は称賛に値するものだったと思う。
私は当時から中央大学を贔屓にしており、この時も藤原の走りに大いに期待していたのだが、大村が奥田を突き放した瞬間に「このまま大村に逃げ切ってもらいたい。」という気持ちになったことを覚えている。エリートランナー相手に強気一辺倒で勝負する大村に心を動かされたのである。「もしかするとこのまま逃げ切るかもしれない。」と思った矢先に目に飛び込んで来たのは、下りに入ってからペースアップし、一気に差を縮めてきた藤原の姿だった。ここまで中々差を詰められなかった藤原が一気に奥田を捉え、その奥田とともに大村に迫ってきたのである。大村の体力もすでに限界に達しており、ついに残り約1.5キロの地点で藤原と奥田に大村は突き放されることとなってしまった。大村の逃走劇もここまでだった。


大村という主役が不在となった中での残り1.5キロは藤原VS奥田の激しいつば競り合いとなった。西脇工業の1年先輩であるエリートランナー奥田の意地と大学進学後実力を付けたクレバーな藤原の対決も強烈なものとなった。しかし最後は芦ノ湖のゴールまでの展開を冷静に思い描いていた藤原が先輩奥田を引き離し、8秒という僅少差ながらトップで往路のゴールテープを切ってみせた。
終わってみればあれだけの悪コンディションでも常に冷静に走り続けた藤原のクレバーな走りに驚かされたのだが、大村、奥田の気迫も見事な激闘だった。大村に関しては、残り1.5キロで藤原から55秒も遅れを取ってしまったとのことで、本当に最後は気持ちだけで走っていたのだと思う。しかし体力が限界でも気力で盛り返す姿に感動させられた。この5区の激闘は大村あってのものであることは間違いない。そして奥田も本来であれば同学年のチームメイトいわゆる「順大クインテット」の1人である野口が起用される予定だった5区でしっかり結果を残し、順天堂大学の総合優勝に繋げて見せたのだから見事な走りだった。

キャラが立った3選手の火花散る戦いは、箱根駅伝の名場面の1つとして今でも語り継がれている。

P.S 藤原は現在は中央大学の監督となり、チーム再建を託されていますね。現役時代も日本男子マラソン界冬の時代にあって希望を抱かせるランナーの1人でしたよね。怪我が残念だったのですが、自分で考えて鍛錬できる速くて強いランナーだったと記憶しています。

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