現在の野球ファンにとって「ベッツ」と言えば「ムーキー・ベッツ」を思い浮かべる人がほとんどではないだろうか?しかしアラサー世代以上のヤクルトファンは「ムーキー・ベッツ」の名前を聞いて2003年にヤクルトでプレーした「トッド・ベッツ」を思い出す人も一定数いるのではないだろうか?私も今では「ベッツ」と聞けば、流石に「ムーキー・ベッツ」を連想するが、「ムーキー・ベッツ」の存在を知ったばかりの頃には「ベッツ」と聞いて「トッド・ベッツ」を思い出したものである。
タイトルの「ベッツ、別人。」については、ベッツが来日した際にマスコミがベッツ本人ではなく、全く違う外国人観光客をベッツと勘違いし、そのまま取材がなされてしまうという珍事があり、翌日のスポーツ紙に「ベッツ、別人」との見出しが出たものを拝借させてもらった。
正直トッド・ベッツ本人の顔よりも間違って取材されていたベッツの別人の顔の方が私は覚えている。ぽっちゃり体型でメガネをかけた愛嬌のある色白の青年がヤクルトのキャップを被り、つば九郎のぬいぐるみと共に大きくスポーツ紙に掲載されていたことは記憶に新しい(と言っても20年以上前の話しだが…)。
そんな珍事の方のインパクトが大きくなってしまったベッツは、ペタジーニ穴を埋めるべくヤクルトが補強した選手であったことも影響してか、数字上はまずまずの成績を残したのだが、プレーの印象はあまり残っていない。オープンスタンスの独特な構えから広角に弾き返すバッティングは、迫力こそなかったかもしれないが、中距離ヒッターとしての能力はまずまず高かったと記憶している。当時の外国人野手に最も求められていた能力は長打だったため、ベッツはそれ程評価されることなく、1年でチームを去ることになってしまったのだが、今思えばもう1年NPBでプレーしていれば、高確率で数字が向上した可能性がある選手だったように感じる。巨人戦で当時ルーキーだった久保とリリーフで登場した真田からホームランを放ち(真田からのホームランは、サヨナラホームラン)、ヒーローになった試合は、テレビ観戦した記憶がある。もちろんペタジーニと比べてしまえば物足りなさも感じたのだが、あまりにもベッツに求めるハードルが高くなっていた部分もあったように感じる。
翌年のアテネオリンピックのカナダ代表に選ばれ、3位決定戦で日本と対戦した時に、ベッツがカナダ代表のスタメンとしてプレーしている姿を見て嬉しい気持ちになったことを覚えている。
私は1988年からヤクルトを応援しているのだが、野手の助っ人外国人選手に関しては、派手な数字を残してくれた選手が数多くいる。そういった面々と比べてしまえば、ベッツの存在は非常に地味なのだが、もし2年目があったのであれば、面白い存在になっていたのではないか?という妄想を掻き立てられる選手ではある。
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