ドーハの悲劇から20年

今日は2013年の10月28日。今から20年前1993年の10月28日に起こった出来事がいわゆる「ドーハの悲劇」である。サッカーのワールドカップ初出場を掛けてカタールのドーハでアジア最終予選に挑んだ日本代表は、最終戦のイラク戦残り30秒程まで2-1とリードを保ち、アメリカワールドカップへの出場権をほぼ手中に収めていた。しかしである。ロスタイムラスト1プレーでイラクのコーナーキックからFWオムラムにヘディングシュートを決められ、2-2の同点に追いつかれてしまった。この結果当時2枠しかなかったワールドカップアジア代表にはサウジアラビアと韓国の2か国が選ばれ、日本はワールドカップの出場権を失ってしまった。正しく「ドーハの悲劇」である。

当時私は小学5年生。このブログには何度か書いているのだが、ヤクルト戦を中心とした野球観戦だけでなくスポーツ全般の観戦がこの頃から趣味だった私は、サッカー観戦にもどっぷりハマっていた。1次予選で強豪UAEを破ってアジア最終予選に駒を進めた日本代表は、勢いに乗っていた。同年に開幕したJリーグは日本に一大ムーブメントを引き起こし、日本国中がサッカー一色に染まる勢いだった。その勢いのまま10月のアジア最終予選に突入していった。

現在はアジア最終予選もホーム&アウェイ方式で行われているが、この時はカタールでのセントラル方式で行われていた。日本の他にサウジアラビア、イラン、北朝鮮、韓国、イラクの6か国が2つのイスをめぐって激戦を繰り広げた。小学生の私にとって深夜のサッカー観戦は簡単なものではなく、7時頃一旦就寝し夜中に起きて観戦する日々が続いたことを覚えている。(第2戦のイラン戦のみ目覚まし時計のセットを間違え、寝過ごしてしまったのだが…)

初戦の強豪サウジアラビアには引き分けて好スタートを切ったと思われた日本だったのだが続くイラン戦でまさかの敗北を喫し、一気にどん底に突き落とされた。しかしイラン戦の終了間際途中出場の中山が角度のない所からゴールを奪い、そのボールを拾い上げチームを鼓舞するようにセンターサークルまでダッシュする姿を見て胸を熱くした方々も多いのではないだろうか?第3戦の北朝鮮戦では、その中山を先発起用すると中山と三浦知の2ゴールで3-0で勝利し息を吹き返す。
そして当時日本の前に大きな壁として立ちはだかっていた韓国も三浦知のゴールで1-0で下し、首位で最終戦を迎えることとなる。しかし首位と言っても大接戦で確か北朝鮮、イラク以外の4チームにワールドカップ出場のチャンスが残された中で最終戦は始まったと記憶している。

この試合もテレビ観戦していたのだが、立ち上がりにいきなり三浦知のゴールで先制し、その地点でほぼアメリカ行きの切符を手にしたと思ってしまった自分がいたような気がする。あまりサッカーの見方が分かっていなかったということもあったかもしれないが、私はこのイラク戦がそんなに厳しいゲームだった印象があまりないのである。しかし20年経った今色んな書物を見返してみると選手達は身体が動かず、イラクにゲームを支配されて非常に厳しいゲームだったということである。
そんなことも分からずに見ていた自分は、一旦は同点に追いつかれた後で中山が勝ち越しゴールを奪い今度こそは大丈夫だと確信していた。しかし冒頭にも書いた通り最後の最後で同点ゴールを決められてしまい、ほぼ手中にしていたアメリカ行きの切符はスルリと逃げて行ってしまった。

私は、ヤクルトファンであり一番の趣味はヤクルトスワローズで間違いないのだが、スポーツ観戦でこれだけの衝撃を受けたことはほとんどないように感じる。(翌年のリレハンメルオリンピックのジャンプ団体、原田雅彦の世紀の失速も衝撃的だったが…)

今でもドーハの時の日本代表がもしアメリカワールドカップに進んでいたら…と考えるサッカーファンの方は多いのではないだろうか?私もその一人である。フランスワールドカップの出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」も非常に興奮し感動したのを覚えているが、自分の中で一番思い入れの強いサッカー日本代表は間違いなくドーハの時の日本代表である。あの時のチームの一体感そして日本国中の一体感は忘れられない。もうあんな熱量を感じるスポーツイベントはないのではないだろうか?

「ドーハの悲劇」から20年。またこのドーハの悲劇を描いたドキュメンタリー番組を見てみたい。ちなみにこのドーハの悲劇が起きた直後にヤクルトは日本一に輝いている。もしこのシリーズでヤクルトが西武に逆転負けを喫していたのならばおそらく私は立ち直れなかったのではないだろうか(笑)

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コメント

  1. でぶちゃん より:

    当時の自分はスワローズ93年の日本一の酔いしれていて『何がサッカーだ』『なんで地元浦和が弱い三菱自動車なんだ、埼玉のプライドが許さない』『ホンダが何故参加しないんだ』『そして日本代表は読売Vばっかじゃん』とあまり興味がありませんでした。ドーハの悲劇・・・今、想えばカズ以外はまだ日本リーグの面影があってプロ意識欠けていた選手が多かった様に感じます。キーパー松永で良かったのか?中山下げるか?ラモスの勝手なプレーは許すのか?勝矢とか大野とか都並なんて今だったらJFLでもレギュラーかな?ってレベルだもんね・・・もう20年前ですか、あの頃はワールドカップもワールドシリーズも日本人にとって遠いものだった。

  2. FIYS より:

    > でぶちゃんさんへ

    サッカーの記事にまでコメント頂きありがとうございます。野球以外の記事でコメントを頂くと励みになります。
    私もV川崎はやはり好きにはなれないチームでしたね。それでも日本代表についてはどっぷりハマってました。20年前というとやはり時代が全然違いますよね。スポーツ界の状況もだいぶ変わりましたよね。

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