「オープン戦男?」河野亮

選手

まだまだキャンプ真っ盛りのこの時期なのですが、今日は「この時期ならでは?」の選手について取り上げてみたい。タイトルの通りで「河野亮」選手である。この選手に詳しいという人はかなりの「プロ野球通」ではないだろうか?
実は私もこの選手のことはほとんど見たことがないし、詳しくはない。しかし90年代のヤクルトを知っているファンの方達であれば当時のキャンプ、オープン戦の時期に一度は期待を掛けたくなった選手ではないだろうか?

調べてみると現在は、楽天の2軍打撃コーチを務めているようだ。ヤクルトには90年に日大藤沢高(館山の先輩にあたりますね。)からドラフト外で入団し、95年のシーズンオフに福岡ダイエーホークスにトレードで移籍している。私は当時小学生だったためあまり記憶にはなかったのだが、意外とヤクルトに在籍した期間が短いことに驚いた。当時は、キャンプやオープン戦の情報を集めることは簡単なことではなく、私は毎日の新聞を頼りにしていた。90年代中盤くらいまでのオープン戦前半は、ほとんど主力選手が登場せず、それこそ2軍の選手のアピールの場だったように記憶している(確か中日の落合選手などは本当に打席に立ってピッチャーのボールを見るだけでバットを振らずにベンチに下がるようなこともあったように記憶している。いわゆる「オレ流」ですね。)。
そんな中毎日の新聞でオープン戦の結果を見るのが楽しみだったのだが、毎年のように前半戦でホームランを放っている打者がいることに気が付いた。それが河野選手だったのである。新聞で名前と数字を見るだけなので後は想像を膨らますしかなかったのだが、打撃に特徴のある長距離砲ということだけは、想像することが出来た。オープン戦とはいえこれだけ打つのだからいつかは1軍で活躍するかな?と思っていたのだが、ヤクルトでは全く活躍することがなかった。当時は河野と同じポジションとなるファーストに広沢克という不動のレギュラーがいたため仕方ないのだが、河野もチームがチームなら主力選手になれるだけの器を持った選手だったのではないだろうか(まあそんな選手はプロ野球界全体を見渡せばいくらでもいると思うのだが…)?
とにかく当時の少年だった私にとっては、キャンプ、オープン戦のこの時期に大きな期待を膨らまさせるだけの存在だったことは間違いない。しかしそれは無知だった少年時代の私だったから期待を膨らませたということではないと思う。おそらく今の時代に「河野亮」がヤクルトにいたのならば同じように私は大いに期待していたと思う。否今の時代ならもしかするとブレイクした可能性もあるのでは?とすら感じてしまう。現レギュラーの畠山との違いは、運や巡り合わせの部分も大きいような気がする。当時河野と同じようにオープン戦では打ちまくっている印象があった広島の江藤智や中日の山崎武司がその後大ブレイクしただけに少し残念だった。

P.S ちなみにこの河野選手ダイエーに移籍した後少しレギュラーを張った期間もあったようですね。プロの世界で活躍できるかどうかはやはり紙一重なんですかね?

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コメント

  1. でぶちゃん より:

    河野亮って懐かしいですね。今で言う畠山みたいになる予感な選手だった。広澤とポジションが被っていたから”不運”だったかもね。でも当時の監督がノムさん、見出されなかったのはそこまでの実力だったかもしれませんね。

  2. FIYS より:

    > でぶちゃんさんへ

    本当に上手く行けば畠山になった可能性もありますよね。でも他球団を渡り歩いても結果を残せなかったのもまた事実ですよね。

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